関西大学法学部教授 栗田 隆

破産法学習ノート2「破産免責」の注


注1  消費者信用制度と免責制度の関係についての立ち入った分析として、[伊藤*1989a]118頁以下などを参照。

注2  免責の効力を受ける債権を取引債権と非取引債権とにわけて考えてみよう([百選*1990a]85事件(栗田))。

 ()取引債権  取引の相手方は、自己の債権について債務者が責任を負うかを考慮して取引をすればよいのであるから、破産免責を認めることは、憲法29条2項で立法府に認められた権限(財産権の内容を公共の福祉に適合するように法律で定める権限)の範囲内のことであり、債権者が取得した債権の侵害ではない。

 ()非取引債権  非取引債権にはさまざまなものがあり、それらについて一律にいうことはできないが、ここでは、その代表として、身体侵害を理由とする損害賠償請求権をとりあげることにしよう。これについては、取引債権について述べた説明は妥当しない。被害者が日々の労働収入でつつましやかに生活し、収入が少ないために、蓄えも少なく、労働収入の低下を賠償金で補って今後の生活を立てていかなければならないときに、免責の効力がこの債権に及べば、債権者の生活は破壊されることになろう。この賠償請求権の免責は、賠償の対象となる被害者の身体ないし人格の切り捨てと等価である。

旧法下にあっては、不法行為債権は、それが悪意による不法行為に基づく場合には、免責されなかった(366条の12第2号)。しかし、通常の過失による損害の賠償請求権は、これに該当しないので、旧破産法を単純に適用すれば、免責の効力が及ぶことになる。果たしてこれでよいのかが問題にされた。もちろん、債権者(被害者)に十分な資力があり、債権者の生活が破壊されるおそれがない場合には、賠償金債権に免責の効力を及ぼしても、問題は少ない。しかし、債権者の資力が乏しい場合には、賠償金は債権者の生活を支える重要な財産であり、その弁済責任を免責により消滅させるためには、国が何らかの補償措置をとることが必要なように思われる(そのような補償措置として、生活保護が考えられるが、それで足りるかは、見解の分かれるところとなろう)。しかし、国が補償措置を講ずるよりは、当該損害賠償請求権を非免責債権とする方が明快である。

現行破産法の下では、破産者が故意又は重大な過失により加えた人の生命又は身体を害する不法行為に基づく損害賠償請求権も非免責債権である。ただ、過失はあるが重過失でない場合には、免責の効力が及ぶので、なお問題は残る。ただ、この問題については、便宜的な処理になるが、重過失の有無を債権者(被害者自身またはその相続人)の生活状況も考慮して判断することにより妥当な解決を得ることもできる。実務は、その方向に動くとように予感される。

注3  基本的な文献として、[伊藤*1984b]10頁以下を参照。[中島*1992a]55頁は、懲罰的色彩を残していた時代の古いイギリス破産法の免責制度とアメリカ破産法の免責制度との対立という沿革的視点からこの対立を説明する。

注4  これは、債務者が、破産手続開始申立ての段階で、賭博の繰返しの事実を隠して多額の飲食の繰り返しにより多額の負債を負ったと申述して破産決定と同時廃止決定を得、免責手続において、浪費の程度が激しいので免責を得ることが困難であることを告げられて始めて賭博の繰返しによる債務負担を陳述した事件に関するものである。裁判所は、そのような破産手続開始申立て段階での虚偽の陳述も、その内容が重大・悪質である場合には、旧破産法366条の9第3号(現252条1項8号)を類推適用し、免責不許可決定をなすことができるとした。もっとも、他にも複数の免責不許可事由に該当する事実が認定されている。

なお、他人に知られたくない病気の治療あるいは加持祈祷のために多額の借金をしたという事実を破産手続開始申立ての段階で秘匿した場合にどのように判断されるかは微妙であるが、病名を伏せたまま(単に「病気」と表示したまま)真実を述べるべきであろう。

注5  この見解は、免責債務者の再度の破綻が頻発すると免責制度自体の存立を危うくする、と指摘する。その指摘自体は正当であるが、その防止のために、旧法下では10年間、現行法下では7年間の再免責申立禁止の規定があるのであり、それで足りるのではなかろうか。債務の弁済に追われ、最後に破産宣告を受けたということは、極めて苦い良薬である。免責不許可事由がない場合に免責を受けて、その後どのように生きるかは、本来個人の自由であると考えたい。

注6  旧法下でも、明文の規定はなかったが、昭和27年の免責制度導入当初から承認されていたことである。比較的早い時期の先例として、(東京高等裁判所 昭和45年2月27日 第9民事部 決定(昭和44年(ラ)第481号)参照。

注7  再利用免責を否定した先例として、次のものがある。

注8  この他に、無限責任の原則を前提にして、その例外としての免責を認めるべかという立法政策のレベルでは恩典ということもできる。しかし、判例において「免責は特典である」と言う場合には、立法政策を言っているのではないから、解釈論のレベルにおいて本文に敷延したような意味で使われていると見るべきであろう。

注9  [宮川*1991a]115頁以下、[中島*1992a]56頁。

注10  それは、次の理由による。

  1. 252条1項において免責不許可事由として挙げられているのは、基本的には債務者の過去の行為であり、将来への意欲ではない。
  2. 我々の社会は、犯罪者の更生といった例外的な場合を除けば、一般に、各人は、自己の責任において自由に行動することができることが前提になっていると考えたい。破産者は犯罪者ではない。裁判所の関与の下に彼を更生させるというのは、行き過ぎのように思われる。免責というアメを見せつけられた人間は弱い。その人間の指導を裁判所が継続的にしようとする点に違和感を感ずる。
  3. 現行法は、過去の行為に対して裁判所が法を適用して判断し、その判断に不満のある者は不服申立てをなしうるとの原則を採用している。裁判所が債務者の更生を指導するといった場合でも、指導が行きすぎて債務者の精神的自由を侵害されるような場合にそなえて、不服申立ての道を用意しておく必要がある。その不服申立ての道を用意することができるのであろうか。
  4. なお、3と同様な問題は、債務者の誠実性の補充のために、破産裁判所が破産手続中あるいは免責手続中に債権者への弁済を求める場合にも生ずる。しかし、それでもこの場合には弁済の有無が問題となるだけであり、債務者の内面に立ち入る虞は少なく、日誌の提出を求めるといった更生のための指導と比べれば問題は少ない。

注11  一部免責について、次の文献を参照。[栗田*1992a]、[松下*1996a]。

注12  反対の趣旨の下級審先例として、次のものがある。大阪高等裁判所 平成6年8月15日 第7民事部 決定(平成6年(ラ)第464号)

注13

注14  この立場の先例として、次のものがある(但し、旧破産時における免責不許可事由の存否は不明)。

これらの先例を支持する文献として、[井上*1991a]478頁以下、[山内*1992a](上)19頁がある。

注15  宇都宮健児「免責申立を期間を徒過した場合の救済方法について」クレジット・サラ金対策ニュース33号12頁、[小島*1988a]182頁。また、[田中*1992a]38頁によれば、東京地裁民事20部では、当時、再破産肯定説に立っているとのことである。

注16  もっとも、旧債権と新債権とを区別することなく一律に免責を不許可にした方が実務的処理が簡明になることは確かである。またそうなれば、一部免責は免責不許可決定より常に有利であることになるので、一部免責をなすことについて債務者の申出ないし同意は必要ないことになる。

注17  そこには、さまざまな意味を込めることができる。労働能力を失い公的扶助により生活している者については、債権者の絶え間ない弁済請求から解放されて、平穏な生活を取り戻すことに意味がある。労働能力を有する者には、一生懸命働けば再び幸せになるという希望を与えることに意味がある。

注18  もっとも、免責の目的は債務者の更生にあり、不当な流出により破産債権者による掴取から免れた財産を受益者に保持させる点にあるのではない、という根本問題がある。免責決定の取消しの要件(254条)が厳しいこととも絡むが、免責決定の客観的効力の範囲の制限することも検討に値する([酒井*1998a]904頁)。債務者の開示しなかった財産を免責除外とする一部免責決定により問題を暫定的に解決しようとする提案もある([栗田*1986a]90頁)。

注19  訴求力を失った債権について請求棄却の判決をすべきであるとした例として、次の先例がある。最高裁判所 平成19年4月27日 第2小法廷 判決(平成16年(受)第1658号)、最高裁判所 平成19年4月27日 第1小法廷 判決(平成17年(受)第1735号)があり、次のように説示している:日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の日本国又はその国民若しくは法人に対する請求権は,日中共同声明5項によって,裁判上訴求する権能を失ったというべきであり,そのような請求権に基づく裁判上の請求に対し,同項に基づく請求権放棄の抗弁が主張されたときは,当該請求は棄却を免れない。

注20  

注21  1997年の『倒産法制に関する改正検討事項』では、免責不許可事由の審理を債権者が免責に異議を述べる場合に限定することの当否も検討事項とされた。[高田*1999a]は、そのような提案を次のように批判する。

注22  但し、アメリカ合衆国法の動向を窺いつつ、立法論とし債務再承認制度を導入すべきであるとの見解も登場している。[藤本*2001b]=藤本利一「≪研究報告≫破産免責における債務再承認制度の意義」民事訴訟法雑誌47号(2001年3月)195頁。

注23  「誠実な債務者」と「不誠実でない債務者」との区別は微妙であるが、誠実とも不誠実とも言いきれない債務者の存在を前提にして、それぞれ、「誠実であることが明確な債務者」「不誠実であることが明確であるとはいえない債務者」と言い換えたら差異が明瞭となろう。

注24   Kawaauhau v. Geiger, 523 U.S. 57 (1998) . (コーネル大学のSUPREME OURT COLLECTIONに収録されている)。

注25  平成12年の法改正前の旧法においては、2条で相互主義が宣明されていたため、免責制度を有しない国の国民が日本で破産した場合に、破産免責を申し立てることができるかが問題となった。しかし、平成12年の法改正後の旧法並びに現行法では、日本で破産宣告ないし破産手続開始決定を受けた外国人も、日本国民と同様に免責申立てをなしうることに、問題はない。

注26  なお、合衆国の判例の推移については、後掲[畑*2002a]113頁以下が詳しい。それによれば、連邦最高裁判所は1998年の判決[24]により、非免責債権に該当するためには加害者が加害まで意図していることが必要であるとの立場がとられた(118頁以下)。

注27  「人間に値する生活を営む権利」は、そのままの形では、日本国憲法にない(労働基準法1条1項にある)。おそらく、1919年ヴァイマール共和国憲法151条に由来する権利であろう。同条1項は、次のように規定している。

Die Ordnung des Wirtschaftslebens muss den Grundsaetzen der Gerechtigkeit mit dem Ziele der Gewaehrleistung eines menschenwuerdigen Daseins fuer alle entsprechen. In diesen Grenzen ist die wirtschaftliche Freiheit des Einzelnen zu sichern.

経済生活の秩序は、すべての人に人間に値する生存を保障することを目標とする正義の原則に適合しなければならない。この範囲内で個人の経済的自由は確保されるものとする。

この第1文は、生存権保障の規定として引用されることが多い。しかし、この規定の直接の内容は、第2文からもわかるように、「国家による生存権の保障」(日本国憲法25条1項)というよりは、経済活動に関する法規の基本方針を定めたものである。換言すれば、「すべての人に人間に値する生存を保障することを目標とする正義の原則」は、日本国憲法29条2項の「公共の福祉」に相当し、また、憲法27条2項の解釈として、同条に読み込まれべき原則である([西谷*2009a]9頁・22頁参照)。日本国憲法29条2項の「公共の福祉」の中に、「すべての人に人間に値する生存を保障することを目標とする正義の原則」を読み込むと、債務者について破産手続が開始され、最低限の生活を営むのに必要な財産しかもち得ない状況に立ち至ったときには、同原則に従い、債権者の権利を変更(縮減)することが許容されるという形で免責制度を根拠付けることができる。

最低限度の生活は、免責を許可されなかった破産者にも、差押禁止財産の制度により確保されるとするならば、免責制度は、破産した債務者に「最低限度の生活」以上の生活を営む機会を与える制度であり、それを憲法25条の理念によって説明することはできない。また、破産免責は、債権者と債務者の間の法律関係を変更するものであるのに対し、憲法25条は、「国家(が運営するする社会保障制度)による生存権の保障」を定めるものである。この点でも、破産免責制度を憲法25条によって根拠付けることは適切でない。国会は、憲法29条2項にいう「財産権の内容」を定める法規を「公共の福祉に適合するように」制定しなければならず、免責制度を定めることが公共の福祉に適合すると決断した。しかし、「公共の福祉」では、漠然としすぎている。これで破産免責制度を根拠付けようとしても、説得力があまり出ない。そこで、最高裁は、「公共の福祉」に代えて、ヴァイマール共和国憲法151条に由来する「人間に値する生活を営む権利」を持ち出したと見たい。同条1項にいう「すべての人」の中に破産者が含まれることは言うまでもない。