(こしかけてこうぎをうけるけんり)[/教育/大学教育/]
「生活利益は、それが満たされないときに権利として主張される」。この言葉は、この権利にも当てはまる。小学校から高校まで、生徒が机に向かって腰掛けて授業を受けることは、当然のことであり、それを権利などと言う者はいない。例外があるとすれば、教師が授業中に騒いだ生徒を立たせたままにすることがどの範囲で許されるかが問題となる場合ぐらいであろう。
しかし、大学では、学生が講義形式の授業を受けるために教室に行っても席があるとは限らない。教室の収容能力を上回る数の学生が受講登録する授業が少数ながら存在するからである。とりわけ、勉学意欲に燃えた新入生が受ける授業にこのことが生じやすい。教師曰く:「立ったままの人がいて申し訳ありませんが、夏休みまでにはすいてくるでしょうから、それまで我慢してください」。30年以上前から使われている言葉である。立ったままの学生は、遅れて来た自分が悪いのかと反省しつつも、立ったままでは疲れるので諦めようと思うようになり、教師の予言通り、立ち見の学生は次第になくなっていく。
腰掛けからあふれる学生が出ないようにするための方策として、次のことがある。
教室の収容能力を超えるほどに多数の学生が受講登録する原因として、次のことがある。
原因はなんであれ、学生が腰掛けて授業を受けることができない状態は、早急に解消しなければならない。学生が腰掛けて授業を受けることができる状態にすることは、入学契約(教育サーピース提供契約)に明文の規定があるか否かにかかわらず、教育サービス提供者の当然の義務であろう。
大教室で良い授業をすることが通常の教員にとって困難な仕事であることを前提にするならば、解決策は、教室の収容能力にゆとりが生ずるようにクラスを分割することになる。教員の負担能力ならびに教室との関係で困難な場合には、その余力を産み出すために、卒業所要単位を削減し、開講科目を削減することが必要となる。受講者数が多数になる科目は、通常は、基本的な科目であるので、これはカリキュラムのコア化につながる。多様な科目の授業を提供することよりも、受講生が腰掛けで講義を受けることができるという最低限の授業環境を確保することに、より高いプライオリティが与えられるべきである。
卒業所要単位の削減は、学生達に遊ぶ時間を与えることではない。授業内容をよりよく理解し、思考を発展させるために、図書館やインターネット、あるいは友人達との議論に時間を使うことを求めることである。学生をその方向に誘導するために、こまめにレポートを提出させ、あるいは小テストをすることになる。教師の負担能力に限界があるから、機械採点の小テストを多用することになろう。