関西大学法学部教授 栗田 隆

民事訴訟法講義「審理の枠組み」の注


注1  平成29年民法改正前にあっては、除斥期間についても同様である。最高裁判所 平成1年12月21日 第1小法廷 判決(昭和59年(オ)第1477号)・民集43巻12号2209頁、最高裁判所平成10年6月12日第2小法廷判決(平成5年(オ)第708号。これらの判決は、更にすすんで、「不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には、裁判所は、当事者からの主張がなくても、除斥期間の経過により右請求権が消滅したものと判断すべきであるから、除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は、主張自体失当である」とする。もっとも、一般条項(正義・公平の理念)による調整を一切許さないという趣旨ではない。平成10年判決の事件では、当該不法行為により原告が心神喪失の常況に陥っていた。裁判所は、除斥期間の規定を形式的に適用したのでは、「被害者は、およそ権利行使が不可能であるのに、単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面、心神喪失の原因を与えた加害者は、20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり、著しく正義・公平の理念に反する」と判断し、民法158条の法意に照らし724条後段の効果は生じないとした。

弁論主義との関係では、次の点が問題となる。不法行為が何時なされたかは、請求原因事実の一部として原告が主張すべきことである。訴えが提起された日時は、訴状に押された受付印から明らかになり、原告が明示的に主張しなくても、裁判所はその年月日を裁判の基礎資料にすることができるとしてよいであろう。裁判所がこれらの事実から期間計算をして、除斥期間の経過を認めて724条後段を適用することも認めてよいであろう(当事者が主張すべきことは具体的事実であり、それに基づいて20年が経過しているか否かを判断することは、裁判所がなすべき法適用の領域に属する)。通常は、被告がその点を主張するが、被告が公示送達により呼び出された等の理由によりこの点を主張できない場合に重要となる。なお、不法行為の時期について争いがあれば、724条後段の適用を求める者(通常は債務者=加害者)が証明責任を負う。

注2  148条の見出しは「訴訟指揮権」となっているが、同条の指揮権は、旧法下では弁論指揮権と呼ばれていたものである。148条の指揮権は、120条の適用対象となる訴訟指揮権の一部でしかない。その点を明示する意味で、弁論指揮権という方がわかりやすい。

注3  西野[注釈*1997a]511頁(ただし、「概ね」という限定が付いている)。

注4  鈴木[中野=松浦=鈴木*1998a]167頁など。

注5  120条の任意取消しに服させる趣旨で訴訟指揮の裁判にあたるとするのであれば、議論の意味はある。しかし、この裁判が即時抗告に服することを考慮すると、確定後はもちろん、確定前でも任意取消しを認める必要はなかろう。

注6  当事者が弁論結果の陳述をしなければ、審理は進められない。当事者が結果陳述を怠る場合には、裁判所は陳述を促す。当事者がそれに応じなければ、裁判所は、期日を閉じ、当事者が弁論をせずに退廷したと扱うべきである。1月以内に期日指定の申立てをしなければ、訴えの取下げが擬制される(263条)。

もっとも、弁論の更新を≪新裁判官がこれまでの審理について当事者と共通の認識をもつための機会≫であることを強調すれば、結果陳述は従前から審理に関与していた裁判官がして、これにより当事者と裁判官とが審理の状況について共通の認識を持つことでもよいとする立法的選択肢もありうる。この選択肢にあっては、新裁判官が事前に記録を読み、その結果を陳述することも許されよう(裁判官の結果陳述が誤っていると当事者が考えれば、それを指摘して審理状況について共通認識を正しくする)。ただ、弁論主義の趣旨に照らせば、当事者自身が結果陳述をなす方が好ましく、現行法はこの立場であると理解できる。

注7  口頭弁論の制限が判決の言渡しを含まない広義の口頭弁論の制限であることは、明瞭である。他方、口頭弁論の併合は、結果的に判決の併合を伴うが、口頭弁論を併合しても一部判決・残部判決の形で判決のみを分離することは許されるから、この口頭弁論は広義の口頭弁論と考えてよい。なお、口頭弁論の分離後に判決の言渡しを併合するは、実際上は少ないかもしれないが、許されないわけではない。

注8  例えば、「(被害者からハラスメントの加害者であると主張されている)相手方が、ハラスメント行為の存在を否認し、又は同意があったと抗弁する場合に、調査委員は、救済申立人に証明責任を負わせてはならない」と規定している場合がそうである。

 ()ハラスメント行為自体の存在については、被害者に客観的証明責任を負わせるのが妥当であるが、ハラスメント行為により被害を受けて困惑し、救済を求める者に対して(主観的)証明責任を果たすことを要求すると、被害者の心が一層傷つき、それが二次的ハラスメントと評価されうることを考慮しての規定と読むべきであり、したがって、調査委員会に職権探知の権限を一般的に認めた規定と理解すべきである。この規定にもかかわらず、ハラスメント行為の存否が不明な場合には、申立人と相手方との接触の機会を減少させ等の救済措置をとることはできても、ハラスメント行為があったことを前提に相手方に制裁を科すことは、許されない。その意味で、客観的証明責任は、なお救済申立人にある。

 ()他方、「相手方が、・・・同意があったと抗弁する場合に、調査委員は申立人に証明責任を負わせてはならない」との規定は、抗弁事項については、抗弁を主張する者が客観的証明責任を負うのであるから、あまりにも当然のことを規定したにすぎず、かえってその趣旨を理解するのにとまどう。「申立人の同意があったとの事実については、相手方が証明責任を負うものとする」との文言の方が、理解しやすい。

ともあれ、この規定の全体から読みとることができることは、調査委員会の職権探知の権限の肯定である。職権探知の権限を申立人のためにのみ行使するという片面的職権探知の規定と読む余地がないわけではないが、片面的職権探知は、調査委員会の中立性を害することになり正当でない。職権により収集された資料は、申立人に有利であるか否かにかかわらず、救済申立の当否の判断のために斟酌されるべきである。

注9  ただし、法令違背を理由とする変更(122条256条)および333条による更正の余地はある。

注10 各規定における「口頭弁論」の意味の確定にとまどう場合がある。例えば、87条本文における口頭弁論は、主語が当事者であり、また、2項と照らし合わせると、当事者の弁論の意味であると理解するのが素直である。しかし、87条1項本文は一般に必要的口頭弁論に関する規定と理解されており、これには、当事者の弁論と証拠調べが含まれる。また、87条は「第1節 訴訟の審理等」に置かれているのであるから、裁判所は審理の意味の口頭弁論を開いてそこで得られた資料(訴訟資料と証拠資料)に基づいて裁判せよとの意味を含んでいると理解するのが素直である。そうであるならば、当事者の主体性が後退する表現となるが、「裁判所は訴訟について口頭弁論をおこなわなければならない」と規定する方が、ただし書との対応関係も含めて、解りやすい。

148条に相当する旧126条は、第1編総則に置かれていて、同条所定の口頭弁論は、証拠調べを含むと理解されていた(例えば、新堂[兼子*1986a]326頁)。この規定は、現行法では、口頭弁論に関する他の多くの規定と共に、第2編第2章に移された。もちろん、そのことは、この規定の「口頭弁論」の意味を変えるものではない(152条・153条も同様に移動されたが、その口頭弁論が証拠調べを含むことは変えようがない)。しかし、証拠調べについて148条の適用を認めれば、証拠調べにおける裁判長の指揮について、当事者は、150条の異議を申し立てることができることが原則となる。ところが、証拠調べについては、(α)裁判長の処置に対して当事者が異議を述べることができることが規定されている場合(例えば、202条3項)と、(β)そうでない場合とがある(例えば、203条)。後者の場合については、異議申立ができない旨の明文の規定があるわけではないが、当事者は合議体に異議申立ができないと解されている(実際、両者を対照すれば、そのように解釈するのが妥当である)。証拠調べにおいて裁判長による指揮が必要となるのは実際上は尋問の場合であり、この場合については個別規定が多数あるので、それにより賄われ、150条の適用される場面は、極めて狭い。とはいえ、個別規定にない訴訟指揮の命令を裁判長が148条によりなすことを完全に否定することは適当ではないから、150条による異議申立はそれらについて適用されると考えるべきであろう。ただし、規定の仕方としては、第4章「証拠」において異議申立てのできる処置を明示するより、異議申立てのできない処置を明示する方がわかりやすい。

注11  もっとも、この事件においては、Y(正確には、その相続人)から≪本件土地の買受け資金を出捐したのはBだとしても、その金銭はYがBから贈与されたものである≫と主張されている(民集135頁)。これを「B==(死因贈与)==>Y」を根拠付ける事実の主張と評価することができるかについては、見解が分かれている(上村[百選*1982a]163頁は肯定し、藤原[百選*1998a]193頁は否定する)。いずれにせよ、この事件では、差戻審でYには主張を明確にする機会が与えられ、実態に即した裁判が可能であろう。

注12  訴訟進行についての当事者と裁判所の役割分担について、次の文献を参照:[稲葉*1999a]。

注13  手続進行について、当事者の協議要求権と裁判所の協議義務、ならび裁判所の説明義務(当事者からの求めに応じて説明する義務)を認める見解が有力となっている([稲葉*1999a]712頁以下参照)。

注14  裁判長が判決を言い渡す場合に裁判長を発言機関というのはわかりやすいが、148条の弁論指揮権は、裁判長が合議を経ずに自己の判断で適時に行使するものであり、この場合の裁判長を発言機関というのは、「あまりにも事態を無視した不自然な意見である」([鈴木*1984a]=鈴木正裕「決定・命令に対する不服申立て−−民事(1−4完)」法曹時報36巻11号23頁)。

注15  この訴訟指揮の裁判に対する不服申立て方法に関する沿革につき、[鈴木*1984a] 11号25頁以下が有益である。

注16  裁判の言渡しも規則76条の対象となることにつき、[条解*1997a]167頁参照。判決の言渡しは判決原本に基づいてするのが原則であるので(252条)、録音の必要性は低いが、簡易言渡しの場合(254条)には録音することもあろう。

注17  最高裁判所 平成22年1月20日 大法廷 判決(平成19年(行ツ)第260号)の裁判官田原睦夫の補足意見参照。行政訴訟法の世界ではこのように解されているが、民事訴訟法の教科書の中には、職権探知主義を定める規定と位置付けるものがまだ多い。

注18  237条は訴訟係属中のことであることを前提にしているから、職権で証拠調べができる場合であれば、証拠保全としてではなく証拠調べとしてすればよいのではなかろうか。当事者からの証拠の申出が必要な場合でも職権証拠保全ができ、ただ、裁判の基礎資料とするために当事者からの援用が必要であると解するのがわかりやすい。

注19  実例として、大阪地方裁判所 平成11年11月2日 第21民事部 判決(平成11年(ワ)第7625号)がある。また、原告が損害額から控除されるべき項目としてある項目をあげ、その項目の金額を控除した損害額を請求している場合でも、裁判所はその項目を控除する必要はないとして損害額を算定することができる(もちろん、裁判所が認容する金額は請求の趣旨に挙げられた金額を超えることはできない)。この実例として、東京地方裁判所 平成11年10月29日 民事第47部 判決(平成10年(ワ)第15700号)がある。

注20  この立場に立つものとして、次のものがある:[注釈*1998b] 64頁(山本克己)。

注21  この立場に立つものとして、次のものがある:[伊藤*民訴]261頁(発言機関に代えて代表者)。

注22  主要事実の定義には様々な表現がある。幾つかを例示しておこう(内容は同じである)。

注23  [長谷部*1998a3.1]96頁など。

注24  補助事実の存否が問題とされた事例

注25  例えば、次のような例がある。

注26  ドイツで主張された見解に影響を受けた見解である。なお、[伊東*2001a]は、1933年以前のドイツ民事訴訟法にあった宣誓要求制度をこの視点から再考察しようとするものである。宣誓要求制度は、証明責任を負う当事者が、相手方に対し、相手方の主張する反対事実について宣誓を求めるものであり、宣誓は「完全な証明」という形式的証拠力(法定証拠力)を有していて、それゆえ宣誓者は、自己の主張事実に関して、自己の有する情報ならびに収集することができる情報に基づいて確信を形成した上で宣誓を履行すべきであるとされていた([伊東*2001a]=伊東俊明「ドイツ法における宣誓要求制度の意義と機能(1)−−証明責任を負わない当事者の事案解明義務を考察するための基礎的作業として−−」小樽商科大学商学討究51巻2=3号187頁による)。

注27  例えば、次の例がある。

注28  ドイツの議論につき、[伊東*2001a]52巻1号228頁以下参照。

注29  慣習・慣行は、新しい取引領域において問題となることが多い。一定の慣習・慣行の存在が肯定されなかった事例として、次のものがある。

なお、民法92条にいう慣習の存在は、意思表示の効果の根拠付けの一部として、主要事実として扱うべきであろう。当事者が任意規定と異なる慣習の内容を認識していることも、同様に、同条の適用に必要な主要事実である。

注30  「主張責任」ということも少なくないが(例えば[新堂*新民訴]382頁)、「主張責任」の語は「証明責任」の語と同様に当事者間の役割分担(不利益分担)の意味でも使われる。弁論主義で問題となるのは、裁判所と当事者の間の役割分担であり、当事者間の分担ではないので、この講義では「主張の必要性」ということにする。

注31  当事者本人が、事件の解決に関係のない事実を長々と陳述しようとする場合に、裁判長はその陳述を制止することができる(148条1項)。しかし、むやみに制止すると当事者本人が裁判所に対して強い不満を持ち、審理が混乱する(忌避申立ての契機となる)ことがある。そのおそれがある場合に、裁判長が「事情としてお聞きしますが、手短にお願いします」と述べることもある。この場合の事情は、まさに「その他の事実」である。

注32  判決書において、「当事者の主張」の節には記載されていないが、「裁判所の判断」の節には記載されている事実は、証拠調べから得られた間接事実と理解して良いであろう。前橋地方裁判所 平成14年6月12日 民事第1部 判決(平成11年(ワ)第442号)を例にとれば、退職願いの提出を強要されたことを理由とする損害賠償請求訴訟において、原告の父親が弁護士に相談に行き、「退職願は提出する必要がない」との助言を得たとの事実がこれに該当し、裁判所は、この事実を斟酌して、「原告は,懲戒免職の可能性をも考慮して被告Aの上記勧告を自らの判断で受け容れた結果,退職願を被告Aに提出したとみるのが自然である」と判断している。

注33  実例として、次のものがある。

注34  実例を挙げておこう。

注35  旧人訴法は、婚姻訴訟については、婚姻維持の方向でのみ職権探知を認めていた(同法14条)。

注36 証拠がその提出者の不利に評価された事例を挙げておこう。

注37  次の先例がある:

注38  特許法151条により、特許庁の審判手続にも民訴179条が準用されているが、自白に関する部分の適用は排除されており、同条は、顕著な事実についてのみ準用される。[吉田*2004a]69頁・90頁注45・46も参照(審判手続における主張と侵害訴訟における主張との矛盾がどの範囲で禁止されるか(包袋禁反言)という視点からこの点を取り上げている)。

注39 ただし、自白の要件が充足されているか否かの審理に多大な精力を用いるのは適当でないとの判断のもとに、157条(旧139条)(時機に後れた攻撃防御方法)による規制に服させるだけで十分ではないか、との見解も現れている(小野寺・山梨学院大法学論集8-168、21-116)。

注40  その他に、両当事者の陳述が一致することをもって足りるとする見解(陳述一致説)もありうる。陳述一致説は、陳述の時点ではなく、撤回が問題となる時点で自白事実が訴訟結果に及ぼす影響を判断して自白事実の有利・不利が決定されることを考慮した見解である。撤回には、相手方の同意が必要であり、同意が得られなければ、その他の撤回の要件の充足が必要である。相手方が同意しない場合は、その陳述が相手方に有利であり、撤回者に不利であると考えられ、その点では、敗訴可能説に近い。この見解に対しては、(a)自白の範囲を広げすぎ不意打ち的な敗訴の危険を増大させ、(b)随時提出主義を基本とする現行法と調和しないとの批判がなされる。これに対しては、(a)は裁判所の釈明でもって十分対処できるし、また、そもそも自白の拘束力を認めることの基礎には自己責任の原則があることからすれば、(b)の批判は当たらないとの反論がなされる。

注41 最判昭和35.2.12民集14-2-223[百選*1998b]103事件

事実関係: X──(家屋明渡の訴え)─→Y

第1審:Yは使用貸借の抗弁を提出したが、敗訴。
第2審:Yは当初使用貸借を主張したが、後に賃貸借を主張。
   Xは、使用貸借に基づくものであるとして、賃貸借を否認

控訴審は、証拠により賃貸借を認めつつも、Yの使用貸借の陳述は自白にあたり、これを取り消して賃貸借を主張するためには自白の撤回の要件を主張・立証しなければならず、それがないとの理由で、使用貸借と認定し、控訴を棄却した。

判 旨:「本件において自白というべきものは、原審の判示した如くYの「本件家屋の占有は使用貸借に基づくものである」との陳述ではなく、Xのなした「使用貸借の事実を認める」との陳述であり、その結果、Yとしては、使用貸借の事実については立証を要しなくなったものにほかならない。したがって、Yが右主張を撤回し、新たに賃貸借の事実を主張するにいたったとすれば、立証を要しない主張を立証を要する主張に変更したにとどまり、これをいわゆる自白の取消しということはできない。」

敗訴可能説からは、次のように評価される。Xが賃料の支払がないことを主張しつつ所有権に基づく明渡を請求した段階で、Xは、賃貸借契約も使用貸借契約も存在しないことを主張していると見てよく、これに対してYが使用貸借の抗弁を出せば、それは賃貸借不存在の主張を認めたものと評価すべきである。たとえそうでないとしても、Xがそれを認めて、使用貸借の終了を主張した時点では、XY間の法律関係が使用貸借関係であることに自白が成立し、それと矛盾する法律関係である賃貸借関係の主張は許されないとしなければならない(Xが使用貸借の終了を理由に明渡を求める場合には、使用貸借関係の存在はXが証明すべき事項と解すべきであろう。訴訟中に建物がYの失火により焼失した場合の損害賠償請求についてはそうなる)。そうでなければ、自白の拘束力を求める趣旨が貫徹できないのではないか。もっとも、本件においては、XY間の法律関係が使用貸借関係であり賃貸借関係ではないことがどの程度明示的に主張され、自白されたかは問題であり、その点では擬制自白しか成立していないとみることもできる。

なお、田辺・百選(2)209頁は、本件におけるYの陳述の撤回については、抗弁を理由付ける独立の事実が複数ある場合における一部の撤回の自由として説明できるとする。確かに、貸金返還請求訴訟において被告が当初は弁済の抗弁を提出し、後にそれを撤回して免除の抗弁を提出する場合のことを考えれば、その考えは必ずしも不当ではない。しかし、原告が弁済がない旨を主張しているときに、被告がそれを認めた上で免除の抗弁を提出した場合には、少なくとも敗訴可能説に従えば弁済がなかった点に自白が成立するのである。それゆえ、複数抗弁の内の一部を主張して、後にそれを撤回する自由があるといっても、決定的に重要なのは、当該抗弁の主張が他の抗弁事実の不存在の主張ないし自白を含むか否かである(福永・民商91-5-804参照)。

注42  注意義務違反の有無の認定の誤りが法令の解釈適用の誤りと評価された例として、最高裁判所 平成13年6月8日 第2小法廷 判決(平成9年(オ)第968号)参照。

注43  幾分複雑な例を一つ挙げておこう(設例の単純化のために要件事実が抽象的に書かれている。具体的な直接事実を想定し、その証明責任を考えてみよう)。

注44  その他に次の見解もあるといわれている([司法研修所*2011a]56頁以下)。

注45  別の例を挙げておこう。

注46  その外に、[兼子*研究1c]206頁。[小山*民訴v2]150頁もこの立場であろう(権利の存否も一つの事実であるとした上で、「請求を理由づける権利を発生させる法律要件事実の一部をなす権利については、自白があれば、その権利者であることを、他の主張から疑わしいものにならないかぎり、証明することを要しないとしてよいであろう」という。証明不要を明言しつつ、裁判所に対する拘束力については言及がないから、後者を否定する趣旨であろう)。

注47  [上田*民訴v4]360頁。

注48  もっとも、法解釈のみならず法適用に関する当事者の陳述の一致は、一般論としては裁判所を拘束しないことを認めつつも、法適用(例えば「過失」の当てはめ)についての当事者の陳述の一致があるときは、「当事者間の紛争なのであるから両当事者に従う」としてよいとする立場もある([高橋*重点講義・上v2.1]506頁・509頁)。

注49  もう少し一般化した形で検討すると、次のようになろう。

相手方の主張に対する態度

コメント

基礎となる
事実の主張
法的効果の
主張
自白 認める 法律効果についての裁判所の判断権が排除されるかが問題となる。肯定説では、裁判所の判断権も排除されるが、否定説や制限的否定説では排除されない。
自白 沈黙 事実について自白が成立する。肯定説に立ち、かつ権利自白についても自白の擬制を肯定する立場に立てば、裁判所の判断権は排除される。
自白 争う・不知 相手方が主張する法の解釈・適用について争う趣旨である。
沈黙 沈黙 事実について自白が擬制される。肯定説に立ち、かつ権利自白についても自白の擬制を肯定する立場に立てば、裁判所の判断権は排除されるであろう。
沈黙 認める 事実について自白が強く擬制される(159条1項ただし書に該当することはない)。状況によっては、事実について自白の成立を肯定することもできる(一般的に自白の成立を求める見解もある)。肯定説に立てば、裁判所の判断権は排除される。
不知 沈黙 事実について、争ったものとみなされる(159条2項)。
不知 争う・不知 事実について、争ったものとみなされる(159条2項)。
否認 認める 陳述に矛盾があるので、釈明する。
否認 沈黙 事実の否認となる。
否認 争う・不知 事実の否認となる。

法的効果についての「不知」の陳述は、「相手方主張の法的効果が発生するのか判断できない」といった趣旨の陳述を想定している。表の単純化のために、この陳述は「争う」との陳述と等価としている。別個の評価に服しうるとの立場も、もちろん考えられる。

注50  例えば、次の判例を参照。

注51  [兼子*研究1c]213頁。現在においては異論を見ない点であるが、かつては、主要事実は主張責任を負う者によって主張されていなければならないとする見解もあった。[兼子*研究1c]210頁以下参照。

注52  明治23年民訴法289条は、次のように規定していた:「何人を問はす法律に別段の規定なき限りは民事訴訟に関し裁判所に於て証言する義務あり」(原文はカタカナ)。この文言の方が誤解が生じなくてよい。

注53  弁論主義における「当事者が資料(事実と証拠)を収集する権限を有する」の命題中の「権限」は、裁判所の職権による資料収集を排除する意味が込められている。これに対して、職権探知主義における裁判所の資料収集権限は、当事者による資料収集を否定するものではない。

注54  これに対して、[高橋*重点講義・上v2.1]466頁は、これとは異なる立場に立ち、次の趣旨を述べる(同頁においては「錯誤」について議論がなされているが、ここでは「弁済」に置き換えて紹介する):債務者からの「弁済してない」との陳述により、「弁済の有無」に関する陳述があったのであるから、証拠調べの結果に従い弁済の事実を認めて、それを判決の基礎資料にすることは弁論主義に反しない。

注55  ドイツの学説の紹介であるが、[兼子*研究1c]220頁以下参照。

注56  なお、この場合には、請求を「原告が本件建物の所有者でないこと」の確認請求に変更させることも考えられる。

注57  その事実が主要事実であれば、159条1項本文・179条による。間接事実である場合には、これらの法条の適用の可否について見解が分かれるが、適用否定説に立っても、弁論の全趣旨によりその事実を認定することが許されるから(247条)、その認定が可能である限り証拠調べは必要ない。

注58  要件要素を短く記号化できるのであれば、平板的記述スタイルと同様な記述スタイルでも、括弧を用いて階層的記述をすることができる(これを「一行記述方式」と呼ぶことにする)。ここで、相手方が主張立証責任を負うことを明確にするために、notに代えてexc (exception) を用いることにしよう。すると、本文の取り上げた要件は、{A,B,exc{(C|D),excE}}。これをリスト(列挙)を用いて表現することを考えてみよう。

)インデントに論理的な意味を持たさせる方法。例えば、excの意味をもたせるとすると、次のようになる(誤解が生じないように、「ただし次の場合はこの限りでない:」の縮約表記として「例外:」を追加しているが、省略すべきものである)。

要件要素EがCの例外であり、FがDの例外である場合には、{A,B,exc{(C, excE)|(D, excF)}}となる。これをそのままリストを用いて表現すると、下記のようになり、スマートではない。

ド モルガンの法則すなわち、[not(A|B)]=[not A,not B]を用いると、前記の一行式を下記のように書き直すことができる。

{A,B,exc(C, excE),exc(D, excF)}

これをリスト形式にすると、次のようになる。

)インデントに論理的意味をもたせない方法。論理的関係は、「例外:」や括弧を用いて表し、インデントは読みやすさを向上させるために用いる方法。そのうちで、

1)規範が適用されるための要件要素と例外とを同じ段に配置する方法

{A,B,exc{(C|D),excE}} は次のように記される。

{A,B,exc{(C, excE)|(D, excF)}}は次のように記される。

2)規範が適用されるための要件要素と例外とを一段ずらす方法(請求原因は第1段から、抗弁に相当する例外は第2段から、再抗弁に相当する例外は第3段から始める方法)。

{A,B,exc{(C|D),excE}} は次のように記される。

{A,B,exc{(C, excE)|(D, excF)}}は次のように記される。exc{(C, excE)|(D, excF)}は{exc(C, excE)),exc(D, excF)}に展開してある。

)と()とは結果的に同じになるが、表現の自由度の点からすると、(c)の方法がよいであろう。

[司法研修所*2011a]44頁は、「貸金返還請求訴訟における典型的攻撃防御の構造」をブロック ダイヤグラムを用いて一覧しやすい形で示している。一覧性の低下を覚悟して、これを一行記述方式で書くと次のようになる(「抗弁」と「再抗弁」を明示するために、「exc」の後に各々「1」と「2」を付すことにする。「exc1」は抗弁、「 exc2」は「再抗弁」を意味する)。

貸金請求が認められるため要件
={消費貸借制約の成立,弁済期の到来,exc1{弁済|相殺|(消滅時効,exc2{時効中断|時効援用権の喪失})}}
={消費貸借制約の成立,弁済期の到来,exc1 弁済,exc1 相殺,exc1{消滅時効,exc2 時効中断,exc2 時効援用権の喪失}}

前記()のリスト形式で書くと次のようになる(「exc1」は「抗弁」に、「exc2」は「再抗弁」に置き換えた)。

)抗弁の一部を別記することも一つの工夫である。消滅時効の点を別記する方法で記述すると、次のようになる(「かつ」や「または」で結ばれる要件も一行にまとめることにした)。

表現形式の工夫は、いろいろ試みられるべきであろう。

注59  事実関係不詳の事件であるが、最高裁判所 昭和42年6月16日 第2小法廷 判決(昭和41年(オ)第1456号)が、登記費用は売主の負担とす特約があると認定されている登記費用(印紙代)償還請求訴訟において、次の趣旨を説示している:「売主の代理人から本件土地を買い受けた」との買主の主張に対し、裁判所が「売主本人から本件土地を買い受けた」と認定したとしても、いずれにせよ法律効果には変りがないのであるから、その認定に基づき裁判することは許される。

注60  最判昭和45年6月24日民集24巻6号712頁における岡村裁判官の少数意見の四参照。

注61  平成8年に現行民訴法が成立した当時は、216条において証人尋問に関する規定が広く準用され、準用されない規定が個別に明示され、195条の準用は排除されていなかった(大正15年民訴法においても似たようなものであった。同法279条・301条参照)。しかし、平成15年改正により、証人尋問に関する規定のうち鑑定に準用されるものが個別に列挙されるようになり、195条は準用される規定として挙げられなくなった。

注62 [司法研修所*2016a]43頁では、貸金返還請求訴訟において、被告が、金銭の授受は認めつつも、選挙資金に使うために贈与されたものであり、返還約束はないと主張する例が挙げられている。これも理由付け否認の一種であり、選挙資金のために贈与されたとの事実は、間接事実である([司法研修所*2016a]43頁)。この理由付け否認の場合には、(α)被告が選挙に立候補したこと、(β)被告が原告から受領した金額を被告が選挙資金として支出したことは、直接事実(返還約束がされたこと)と不両立の関係にあるわけではなく、証明が必要であろう。そして、その証明があったとしても、裁判所は返還約束があったことを認定することができる。「返還約束がされた」という直接事実と不両立の関係にあるのは、「贈与された」という間接事実である。前記α・βの事実は、この間接事実を推認するのに役立つ間接事実と位置付けられよう。

注63 このことは、民法587条の2の≪書面でする消費貸借契約≫にあっても同じである。借主の返還義務は契約に基づいて生ずるものであるが、契約の発効と同時に生ずるのではなく、貸主が借主に金銭を交付した後で生ずるものである(「借主の返還義務は、貸主による金銭の交付を停止条件にして生ずる」と説明する必要があるかは別にして、そのように説明しても差支えはないであろう)。

注64 平成29年民法改正前にあっては、次のものも挙げることができた。