関西大学法学部教授 栗田 隆
注1 [毎日*1999f]によれば、自営業者を相手に高金利金融をしていた商工ローン会社の一つが、東京地裁に多数の手形訴訟を提起し、それを担当する専門部(民事第7部)の裁判官の一人がその会社の現役社員(元支配人)の姉であることが明らかになり、他の部への配置換えがなされるとのことである。個別的な回避では対応できない場合には、裁判の公正に対する誤解を避けるために、このような措置も必要であろう。
注2 とは言え、自己に除斥原因があると認識する裁判官は自ら回避するであろうことを前提にすると、単独裁判官について職権で除斥の裁判がなされることは、実際上は、ほとんどありえないであろう。この場合には、職権で除斥の裁判がなされるのは、除斥原因の存在を他の裁判官が認識し、除斥原因のある裁判官に回避を勧め、それに応じないときに限られると思われるからである(除斥原因のある裁判官が監督権を有する裁判所に回避の許可を許可を求めたが拒絶されたときに、自ら職権による除斥の裁判を求めるということも考えられないわけではないが、ほとんどないであろう)。これに対して、合議体の一人の裁判官について除斥原因がある場合には、除斥原因のある裁判官が回避しなければ、職権での除斥の裁判はありえよう。この場合には、当該合議体が、その合議体の他の裁判官の主導で、除斥原因のある裁判官に代わる裁判官を補充して自ら除斥の裁判をするか、又は他の合議体に除斥の裁判を委ねることになろう。
注3 比較的わかりやすい例は、第一審で証人や鑑定人になった者は、当該事件の控訴審において裁判官の職務から除斥されるということである。
裁判官が口頭弁論の途中で重要証人であることが判明し、証人申請がなされた場合は、どうか。この場合には、彼が何時から除斥されるのかが問題となる。23条4号の規定の趣旨は、証人として証言した者は、自己の証言に拘束され、他の証拠を考慮して客観的な判断をすることができなくなるので、それを防止する点にあり、法文も「証人又は鑑定人となったとき」としているのであるから、証人尋問開始前は、除斥原因があるとはまだいえないであろう。証人尋問が始まれば、彼が裁判官席に座ることは物理的に不可能である。したがって、証人尋問の申請がなされただけでは彼はまだ除斥されず、証人尋問開始前までは裁判官として職務を行うことができると解したい。これに対しては、彼は自己の見聞に従って証拠の採否の問題について彼は予断をもって裁判する虞があるから妥当ではないとの批判もありえよう。しかし、自己の経験を宣誓の上証言した後の段階と、その前の段階とでは、自己の経験についての執着の度合いは大きく異なり、証言前の段階についてまで除斥原因を認める必要はなかろう。ただ、当該裁判官自身について証人尋問を行うか否かの裁判について当該裁判官を関与させるのが適当かと言えば、そうでもなかろう。一般に、証人として尋問を受けることには相当の精神的負担がかかることであり、それを避けたがるものだからである。当該裁判官は、彼を証人尋問すべきか否かの裁判からは除斥されると解すべきである(23条1号)。そして、彼が証人尋問することが決定された後は、彼は、当該事件の裁判にまもなく関与できなくなるのであるから、すみやかに回避すべきである。
注4 (1)次の左段に掲げる裁判は、右段に掲げる裁判の「前審の裁判」に該当しない。
一般的に言えば、同一審級における不服申立てである異議の裁判はこれに該当しない。形式的には、6号が上級審への不服申立ての制度の機能の維持を目的とすることに限定されていると解釈されているからであるが、実質的には、異議についての裁判にあっては審理方法に変更を加えて再審理がなされるので、不服申立ての対象たる裁判をした裁判官も原裁判にこだわる可能性が低いからである。ただし、異議についての裁判をする場合でも、審理主体の変更は可能であり、また、裁判所の人員に余裕があるのであれば変更することが望ましい場合が多い。
(2)次の左段に掲げる裁判も、右段に掲げる裁判の「前審の裁判」に該当しない。
(3)次の裁判については、見解の対立がある
注5 上級審による再審理の実質を確保するために、「不服を申し立てられた前審の裁判」には、不服申立ての直接の対象となっている裁判のみならず、その内容形成に実質的な影響を与える裁判も含まれると解されている([注釈*1991a]325頁(大村雅彦))。例えば、
他方、判決の内容形成に与える影響の少ない裁判はこれに含まれない
注6 これは、除斥・忌避と異なり、裁判所内部の事件分配に関するものとして、規則で定められた([中野*1997a]29頁)。
注7 大阪地決昭和35.9.19下民集11巻9号1940頁は、そのような簡易却下を認めた最初の公表判例である。
注8 肯定説をとった先例として、大決昭和5.8.2民集9巻759頁、東京高決昭和28.7.18東高民時報4巻3号91頁がある。否定説をとった先例として、大阪地決昭38.2.19判タ142号70頁がある。
肯定説を採った場合には、忌避事由の有無は上訴審で審理されることになる。
否定説に立つと、除斥申立て等を理由なしとして却下する裁判が確定したときに本条違反の瑕疵は治癒されるかという問題が重要となるが、瑕疵は治癒されるというのが確定判例である(最判昭29.10.26民集8巻10号1979頁・判時38号10頁・判タ45号29頁、東京高決昭和52.2.18判時847号49頁・判タ350号283頁)。学説は、次のように分かれているが、問題の簡明な解決のために、判例の立場が支持されるべきであろう。
注9 なお、この場合の「損害」については、次の2つの見解がある。
注10 訴訟指揮の不公正が裁判官の当事者に対する思想・宗教・人種などを理由とする偏見あるいは個人的悪意に基づく場合には、その事を理由とする忌避を認めるべきである。裁判官がそうした偏見や個人的悪意を公言している場合には、忌避は認められやすい。しかし、裁判官がそうした偏見や悪意を内心にもちながら、それを表明することなく著しく不公正な訴訟指揮等をする場合でも、その不公正が本案の問題にさして立ち入ることなく認定できるほどに明白な場合には、そのことを理由とする忌避も認められるよう。もっとも、裁判官がそうした偏見や悪意を持つことは稀であると考えたい。
注11 Web上の 読売新聞記事(2010年9月15日21時16分)・朝日新聞記事(2010年9月16日0時34分)による<http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100915-OYT1T00950.htm?from=main1>,<http://www.asahi.com/national/update/0916/TKY201009150472.html>。